ながさきプレス

第29回 「西海市・瀬戸港から出発!夏の、松島冒険日記」

夏の冒険、 いざ松島へ!

 長崎市の畝刈・三重あたりから、西海市までを結ぶ国道202号。片側に海、片側に山、と豊かな自然に囲まれたこの道沿いは「夕陽が丘そとめ(道の駅)」や「遠藤周作文学館」、ユニークなお店が集まる雪浦地区といった立ち寄り所が多く、夏のドライブにぴったりのコースだ。そんな202号沿いにある「瀬戸港」から、フェリーで約15分。気軽に行ける“しまたび”スポットが、今回の旅先である「松島」! 同じく角力灘に浮かぶ、「端島(軍艦島)」や「池島」同様、炭鉱で栄えた島で、かつては捕鯨が盛んだったという歴史も持つ。周囲約16キロと小さな島だが、海水浴や釣りを楽しめる美しい海に絶景の数々、炭鉱や捕鯨にまつわる歴史遺構、そして石炭専焼の「松島火力発電所」など、見どころは盛りだくさん! 島のガイドを務める渋江さんとともに、ぐるーり、松島を冒険した。

大自然が、 何よりの遊び場

 太鼓橋  松島といえば、まずは何と言っても豊かな自然。島に到着して、まず迎えてくれる「らくだ島」は、長い年月の中で生まれた、自然の彫刻だ。島を囲む海は美しく透きとおり、「周辺の海には、サンゴも多いんですよ」と渋江さん。手を叩くとビーンと音が跳ね返ってくる不思議な崖「共鳴の谷」や、この地域でも屈指の巨木である「松山のアコウ」、平たい磯が畳を敷いたように続き、貝の化石も観察できる「千畳敷」などなど…自然の雄大さや神秘にふれられるスポットがいっぱいだ。もちろん、泳ぐことができる浜辺も点在しており、人も少なく、気分はプライベートビーチ! 島の大自然が何よりの遊び場なのだ。

捕鯨、炭鉱、幕末の志士… 松島に息づく歴史ロマン

 松島を旅するなら、その歴史にもふれたいもの。キーワードは、捕鯨・炭鉱・そして幕末の志士だ。現在、570名ほどの島民の皆さんが暮らす松島だが、開拓された年代ははっきりとわかっておらず、「本村」という集落一帯が、島で最初に拓かれた地とされている。江戸時代は大村藩領に属し、1695年、三代目・深沢与五郎が島に移り住んでからは、島は捕鯨で栄えたという(初代は、捕鯨業で巨万の富を築き、大村藩の発展に寄与した深沢義太夫)。「鯨一頭獲れれば、七浦うるおう」と語られた時代。初代・義太夫の頃より、捕鯨で得た富を我が物だけにせず、地域の産業の振興や、公共事業などに私財を投じた深沢家は、地域の住民にも尊じた深沢家は、地域の住民にも尊敬されていたそうだ。6代目頃に差し掛かると、鯨が次第に捕れなくなり、深沢家も衰退していったが、島民の与五郎への感謝は念は消えず、今なお、島にある与五郎の墓は大切にされている。
 さて、そこから時代が下り明治~大正期に入ると、石炭採掘が本格化。島を一周していると目に留まる、当時のトンネル跡や、変電所跡などが、炭鉱時代の面影をしのばせる。中でも、大正6年に第四坑が完成すると、松島の石炭産業は全盛期を迎えた。人口は一万人を越え、釜浦の海岸通りは大いに賑わったという。しかし、昭和4年・9年に、第三坑・第四坑が水没する未曾有の大事故が重なり、炭鉱は閉山。今もひっそりとたたずむ、第四坑跡の赤レンガの建物には、犠牲者の名が刻まれた弔魂碑が建てられている。
 捕鯨、炭鉱という二つの大きな歴史を持つ松島。歴史好きにはたまらない、もう一つのエピソードが、幕末にこの松島で、維新志士たちが密会していたというものだ。江戸時代の釜浦港は、各地からの商船が盛んに出入りし、港の周辺には問屋や旅籠、遊郭などが軒を連ねていた。とりわけ薩摩との貿易が盛んで、長崎からも距離があるため、大村藩・薩摩藩・長州藩の維新志士たちが密会するには、おあつらえむきだったのだろう。現在も跡が残る「三国屋」という旅籠には、あの長州藩の志士・桂小五郎も泊まったといわれている。幕末の激動の歴史の一ページが、この松島にも刻まれていると思うと感慨深い。

日本一小さな公園(!)や 松島火力発電所見学もぜひ

 現在の松島は、火力発電が主力の産業。九州電力、中国電力、四国電力に電気を供給している「松島火力発電所」は、ガイドさん同行で、見学も可能だ。普段は目にできない石炭の山など、大迫力の火力発電所は、子どもはもちろん、“大人の社会科見学”としても楽しめそう!
 島内を遊びつくしたら、最後は「日本一小さな公園」へ…。小さなベンチとヤシの木が一本あるばかりの、手づくり感溢れる何とも愛らしい名所は、渋江さんをはじめ、島民のみなさんのアイデアで生まれたそう。公園は小さくとも、目の前に広がる大海原は壮観。夕暮れ時には、息を飲む絶景が広がる。
 自然、歴史、発電所見学と、盛りだくさんの魅力で溢れる「松島」。静かなビーチで、のーんびり癒される、とっておきの“しまたび”に出かけてみては?

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