ながさきプレスWEBマガジン

  • Vol.30 雲仙焼

    雲仙の自然が生み出す、
    唯一無二の輝き

     まるで宇宙を覗いているよう―。そう称されるうつわがある。「曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)」。南宋時代(1127~1279年)、中国福建省建陽市にあった建窯で作られたとされ、現存するものは世界でたった3点。その全てが日本にあり、国宝に指定されている。黒の釉薬の上に、光の角度によって色が変わる虹色の斑紋が浮かぶ様は、まさに宇宙。その輝きは、「曜変」が元来「窯変」の字で記される通り、窯で焼く際の予期せぬ変化で生まれたものだ。

     そんな、自然が偶然に織り成す美・「窯変」を呈したうつわが、現代の長崎にも。釉薬に、雲仙普賢岳の火山灰を使って焼き上げる、「雲仙焼」だ。手がけるのは、雲仙焼の3代目・石川照(あきら)さん。現在、雲仙温泉街の近くに工房を、雲仙岳中腹に登り窯を構え、奥様のハミさん、息子の裕基さんと共に、3人で作陶を行っている。

     奈良時代の僧・行基により開山され、かつては霊山として修行僧が集った雲仙。名こそ無かったが、その頃から仏具や日用の焼き物が焼かれていたと考えられている。「雲仙焼」の名が歴史に上るのは、昭和10年頃。お茶に精通し、うつわにもこだわりを持っていた埼玉県狭山の茶人・繁田百鑒斎(はんだひゃっかんさい)が雲仙を訪れたのち、居を移し、茶に合わせたうつわづくりのために、窯を開いたのがはじまりである。その繁田百鑒斎を祖とし、百鑒斎と親交の深かったハミさんの父・石川靖峰が、雲仙焼を受け継ぎ2代目に。そして娘であるハミさんと、照さんが、その後を継承した。

     「雲仙焼」の名のもとに作陶を行う3人だが、その作風はさまざま。窯変天目や、銀色に輝く無数の斑紋が浮かんだ油滴天目を主とする照さん。釉薬をかけず、焼締めという手法で仕上げる、素朴ながらも力強い作風のハミさん。そして現代にも馴染む、普段づかいの優しいうつわを作る裕基さん。共通するのは、雲仙のふもとにある千々石の岳や、口之津、加津佐などの土を用いるという点で、「あとは作風というより、情熱や魂を引き継いでいるのです」と、ハミさんは語る。

     改めて、照さんの窯変天目、油滴天目の作品に目を移す。一つとして、同じ模様や色合いはなく、それぞれが微妙に異なった、変幻自在の輝きを放つ。見れば見るほどに吸い込まれそうな、神秘的な色合い…。もちろん、この窯変に成功するまでには長い道のりがあったというが、ハミさんは「蝶のりんぷんや玉虫の羽、貝殻の螺鈿(らでん)など、自然界には虹色の輝きを持つものが多く存在する。この美しい色合いが、人間が意図して調合したものではなく、全く手を加えていないピュアな灰の釉薬から生まれる…その自然の力が素晴らしい」と話してくれた。そんなハミさんの作品も「基本的には、火まかせ。窯に火を入れる前にお祈りをしたら、あとは窯の言うことを訊きながら薪を入れて、待つだけ。どんな風合いが生まれるかは、わからない」のだそう。そこには、「私、私、としていないもの。存在はあるけれど、主張しないものが作りたい」という思いがあるそうだ。

     作風は違えど、雲仙の自然や土、先人の陶工たちの“声なき声”に耳を傾け、作陶する石川さんたち。そこから生まれるおごりのない静かな美が、見るものの胸を打つ。

    雲仙焼
    雲仙市小浜町雲仙304 TEL:0957-73-2688
    http://www.unzenyaki.com/

    Return Top