ながさきプレスWEBマガジン

  • 長崎歴史ノート 第二回「中国」

    長崎と中国の交流史は

    深くて厚くてそのうえ熱い

    「カワイイ」が日本の個性だとしたら、「カワイクナイ」が中国風。パンダでさえ可愛くなくてリアルで怖いのだ。その違和感が、ある意味「異国情緒」なり。

    ランタンフェスティバルは
    中国文化理解ウィーク

    年好(あけましておめでとう)。長崎では、ランタンフェスティバルが来ないと正月が来たという実感が湧かない……そう感じる人は案外と多い? このイベントは中国の陰暦でいう春節(旧正月)から元宵節(最初の満月)までの2週間を、ランタンを飾って龍踊を観て、カレーちくわをアチチとかじってマーラーカオを頬張って、ろうそくに願かけて楽しむものですが、毎年繰り返しているうちに体内カレンダーが陰暦になってしまったのかもしれません。今年は2月16日からと、とびきり遅い。早いときは1月中旬の時もあって、この「年によって違う」ずれずれ感が、長崎時間によく似合います。

     

    異国情緒が一枚看板のような長崎ですが、食、言葉、祭り、文化や風習全般でいえば、その個性の拠るところは中国の影響大。中国から来た留学生が「外国に来た感じがあまりしない」というのもさもありなん。
    ランタンフェスティバルのほの明るい灯りと、中国の物語由来の奇妙なキャラクターのオブジェに心くすぐられながら、長崎と中国の交流史をひも解いてみる、絶好のシーズンです。

    遣唐使、唐通事、桃饅頭、ちゃんぽん、孫文、上海航路

    古くは7世紀の遣唐使の船が、五島の岐宿や三井楽を最後の寄港地として大陸に向かいました。荒波にもまれて海の藻屑となることを覚悟しながら船出する心境ってどんなものなのでしょう。昨年刊行した『命をかけた遣唐使たち』(志岐隆重著)は、鑑真や阿倍仲麻呂など教科書ではおなじみの人々がどのように中国と日本を行き来したか、その様子が詳しく書かれています。長崎を中心に貿易が盛り上がってからは、貿易をつかさどる唐通事が寺や橋の普請に精を出し、まちづくりには欠かせない重要人物となりました。

     

    長崎唐通事』(林陸朗著)では、代表的な唐通事・林道栄の生涯を追っています。隠元にその才を磨かれた道栄が長崎の代表的観光絵図「長崎名勝図会」に添えた漢詩は、風雅そのもの。風頭山を「人が笠をかぶったような形の山=笠山」とし、「瀟湘の美しい景色が飛んできて私の夢に入ってこないかなぁ。そう思いながら杯を傾ける」。まさに南画の世界です。

     

    それまで市街地に普通に同居していた唐人さんを、密貿易禁止のために出島の中国版ともいうべき「唐人屋敷」に集約した江戸時代。鬱屈したオランダ人に比べ、何かといえば夜な夜なドンチャン騒いでいた唐人さんたちがおりました。『旅する長崎学』は16と17で近代にいたるまでの長崎と中国の密な関係を唐人屋敷や唐寺、普茶料理、孫文と長崎人の関係などを解説しています。

     

    大正時代になると、長崎の出島岸壁から上海へ定期航路が開設されます。商売人も芸妓さんも、上海へ上海へと長崎人が繰り出すこの時期の熱をどう表現したらよいでしょう。『上海航路の時代 大正・昭和初期の長崎と上海』では、憧れの日華連絡船の航路やラウンジから当時の長崎の活気までよく伝えています。まさに「下駄履きで上海へ」そして上海滞在の欧米人にとってはバカンスを過ごす都市、長崎&雲仙。視点を変えると、いろいろなものが見えてきます。

     

    時代は飛んで現代。中国生まれの研究者・章潔による『長崎の祭りとまちづくり』では、大胆にも長崎くんちとランタンフェスティバルを比較研究しているという代物で、どちらにも登場する龍踊を切り口にしていることも新鮮。丹念な聞き取りをふくめ、いい仕事をしています。
    長崎と中国の交流史の厚みは数世紀にわたっており、その興味は汲めども★酌めども、尽きません。

    どの切り口から見るか

    どの視点場から見るか

    文・川良 真理

    〈長崎文献社〉副編集長。
    中通りの〈長崎文献社〉アンテナショップ書店「ブック船長」にも時々出没します。

    もっと知りたい
    「中国」のコト

    『中国』のことをもっと知りたいアナタへ!長崎文献社の『中国』に関する書籍を紹介します。

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