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  • 長崎歴史ノート 第三回「長崎偉人伝」

    万才町の長崎県警の場所が吉雄耕牛の屋敷でした。県警の移転で建物を撤去したら、跡地から何やら出てくるかもしれません。

    日本の近代化に貢献した
    長崎人を知らないと恥ずかしい

    『解体新書』といえば杉田玄白と教えられてきました。しかしこの本が書かれた背景に長崎の吉雄耕牛という人がかかわっていたことを知っている人はかなりの勉強家。耕牛は杉田玄白から本の序文を頼まれ、快く応じて書いています。
    その耕牛は門弟600人ともいわれるほどの偉人なのですが、いままでこの人の伝記がまったく書かれていません。このたび〈長崎文献社〉では『長崎偉人伝』シリーズを発刊、その第一回配本で『吉雄耕牛』を出しました。書いたのは原口茂樹さん。長崎市の小学校の先生を定年になり、好きだった歴史の研究に打ち込んでいる方です。本はよく売れています。

     

    なぜ吉雄耕牛の伝記が書かれていなかったのか、筆者の原口さんはその理由を、「耕牛自身が書き残したものが皆無」と明かして、「私が挑戦して耕牛の伝記を書きます」と大胆にも手をあげて書き上げたのがこの本です。編集担当者としては原稿が出来上がるまでは心配でした。なぜならば、資料がないのにどうやって伝記を書き上げるのかと、夜も眠れないほどでした。
    しかし、出来上がった原稿を見て目からうろこ。耕牛に教えを乞うために長崎を訪れた全国の蘭学者たちの日記にある文章を分析して紹介し、見事に耕牛像を書き上げたのです。平賀源内、司馬江漢、三浦梅園などという錚々たる人たちが耕牛先生の実像を書き残していたのが、伝記に実りました。

     

    『長崎偉人伝』として、〈長崎文献社〉では4冊を同時刊行しました。耕牛伝記以外の3冊は『高島秋帆』、『河津祐邦』、『長岡安平』です。それぞれの本の著者は、書き下ろしで原稿を執筆してくださり、このシリーズの発刊に熱気を添えています。
    『高島秋帆』を執筆した宮川雅一さんは、むかし長崎市助役を務められ、近年は長崎史談会会長や近代化遺産研究会の代表を務めている方です。長崎出身の高島秋帆について長崎人が関心をしめさないことに憤りすら覚え、秋帆の全体像を書き上げました。東京の高島平という地名が象徴するように、高島秋帆が日本の近代化につくした功績は偉大なのです。『河津祐邦』は最後の長崎奉行。幕末の遣欧使節としてフランスはじめキリスト教圏の国家体制を見聞して長崎に赴任。浦上四番崩れの処遇に見識をしめしました。筆者はいま長崎学研究所の赤瀬浩さん。読みやすいと評判です。『長岡安平』は、若手の公園研究者・浦崎真一さんの執筆。東京都公園協会に残る長岡の資料を駆使して大村藩彼杵出身の庭園設計の元祖といわれる人物像を書き上げました。

     

    長崎は鎖国時代に外国関係の仕事をした人物を輩出しています。その業績は「偉人」といわれるに値するものが多く、歴史の街をあるくときに、「ここはあの人物が住んでいたのか」とか、「蘭学を学びに来た若者はここで勉強したのか」とわかると嬉しくなります。その研究の先駆者は『古賀十二郎』という人ですが、この人の伝記も中嶋幹起さんが書いて2007年に〈長崎文献社〉から刊行されました。あわせて読むとまた長崎の歴史に愛着がわいてきます。偉人は偉大です。

     

    今後の『長崎偉人伝』の刊行予定をお知らせしておきます。まず『永井隆』伝。書き手は小川内清孝さんというフリーライターです。永井隆は長崎医科大学で放射線医学の研究に打ち込んでいる最中に原爆の直撃を受けました。命を落とすことはなかったものの、被爆後の壮絶な生き方は多くの著書に残されています。闘病中に昭和天皇がお見舞いに病床を訪ねられたニュースは感動を呼びました。その永井隆の伝記を近々刊行します。ほかに『平野富二』(江越弘人)、『永見徳太郎』(新名規明)を準備中。

    人物の生き方から学ぶ

    歴史はドラマに満ちている

    文・堀 憲昭

    〈長崎文献社〉専務取締役編集長。
    FM長崎「ながさきトークアラウンド(NTA)」で月~木曜日の朝から歴史の話をしています。
    編集者ひとすじ50年。

    もっと知りたい
    「偉人」のコト

    『偉人』のことをもっと知りたいアナタへ!長崎文献社の『偉人』に関する書籍を紹介します。

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